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花尊し

花尊し

臨終


臨終から葬儀への Q & A

Q 危篤
A 危篤の知らせがあったらそのままの服装ですぐに駆け付けるのが礼儀で、見舞金などを用意していくのは不自然でかえって失礼にあたります。離れたところに住む人が危篤の場合は万が一に備えて喪服を用意しますが目立たないように持参しましょう。

Q 末期の水とは
A 臨終のとき、亡くなられた人の口元に近親の人が筆や脱脂綿に水を含ませて唇をぬらしてあげることを、末期の水あるいは死水と言います。新しい割り箸の先に脱脂綿を白糸で巻きつけ茶碗に入れた水に浸します。この習俗の起源については釈尊が入滅に際して水を求めると大雪山(ヒマラヤ)に住み仏教を深く信じる鬼神が鉢に八種の浄水を入れて釈尊にささげた故事によるものとされます。釈尊は入滅間際にしきりに水を望まれ、阿難尊者が水を汲みに行くのですが、車が通った後で濁っていたため、なかなか釈尊に差し上げられませんでした。三度目にやっと清く澄んだ水を汲むことができ、釈尊はその水をおいしそうにお飲みになったとも記されています。民間習俗としては、死にゆく者の唇をぬらすのは、別れに際しての供え物という説と、その反対に、水をかけて死んでゆこうとする人の魂を呼びとめて蘇生させようとする意味で行われるものであるという説とがあります。いずれにしても人生最後の瞬間を、肉親に見守られて往生したいという死にゆく者の願望と、もう一度生き返って欲しいという遺族の願望とがその基底に秘められている訣別の儀式といえます。

Q 魂呼ばいとは?
A 臨終もしくは死後直ちに近親者がその人の名前を呼び叫んで魂を蘇らせようとする習俗でかつては多くの地方で行なわれていました。死ぬことは霊魂が遊離して再び戻ってこない状態であると考えられ、それを呼び返すことによって蘇らせうると信じられていたのです。臨終の場に居合わせた人達が死者の名をよぶのは人情としてごく自然なことですが魂呼ばいには呪術的意味がともないます。かつては枕もとで死者にむかってよぶもの、屋根や高所にあがってよぶもの、山・海・井戸などにむかってよぶものなど三つの形式がみられました。これらは全て去りゆく霊魂をなんとか呼び戻して蘇らせたいという強い肉親の情からおこった儀式でありましょう。

Q 亡くなった人を北枕にするのは
A 死装束を着け終った遺体は親戚縁者に対面してもらいますが、別離の名残りを惜しむためすぐには棺に納めません。納棺するまでの間、遺体はなるべく暖めないようにするため、敷布団は一枚とし、掛布団は薄いものを用います。顔には晒しの白布をかけ、両手を胸のあたりで合掌させ、数珠を持たせます。このときの寝かせ方は、死者の頭を北の方角に向けるので北枕といわれます。この習俗は『涅槃経』などに見られる釈尊の入滅の姿が「頭北面西右脇臥」といわれるように、右脇を下に臥し、頭は北方、足は南方を向き、顔は西方、背は東方を向かれた姿勢をかたどって安置されたものといわれます。部屋の位置の関係でどうしても北枕にできないときは、西枕の方角に寝かせても差しつかえありません。安置終えたら枕もとで読経してもらいます。(枕経)

Q 枕飯はなぜ供える
A 枕飯は、一膳飯、一杯飯、一盛り飯ともいい枕団子と同じく死後ただちに作らねばならないとされています。この枕飯と枕団子を死後すぐに作る理由は死者は息を引き取ると信濃の善光寺に詣でるのでそのための弁当であるから急いで作らないと死者は旅立ちも成仏もできなくなってしまうという俗信から広く一般に行なわれるようになったといわれています。また、死者の肉体から遊離した霊魂を呼び帰すことにより再び蘇らせようとする呪術的色彩が濃い魂呼びの一種であったものが善光寺詣りの俗説となったともいわれます。枕飯は、家族の者が普段使う竈とは別の竈で炊き、炊いただけ一粒残らず親族が一人ひとり少しずつ故人が生前使っていたご飯茶碗にご飯を盛り、箸も同様に生前用いていたものを中央に真っ直ぐに立てて供えます。箸をご飯に立てるのは、死者にこのご飯を食べたならば、この世に再び帰ってこられないということを知らせる標示であるとの俗信で行なわれるようです。

Q 枕飾り
A 遺体の枕もとには白布を掛けた仏壇の前机あるいは小机を置き、香炉(線香立て)、燭台(ローソク立て)、花立てを用意し、線香、ローソク、花を供えます。リン(鐘)を用意し、紙華花(しかばな、葬儀社で用意してもらう)を造り枕飾りの両側に置きます。枕団子をお供えし、死者の胸には刃先を顔の方に向けないようにして魔除けの小刀、剃刀、又は鎌を置きます。故人愛用の数珠を手に持たせます。

Q 湯灌
A 遺体を棺に納めるときに湯水で体を拭くことを湯灌(ゆかん)といいます。病院で済ますことも多くアルコールを用いますが、以前は湯水を使用しました。湯灌をする人は自分の体を荒縄で縛ってから行います。これは亡くなられた方の霊が体の中に入らないように、忌みがかからないようにするしめ縄の代用です。線香を焚いて煙りを湯灌場所いっぱいに充満させます。汚物が出ないように耳、鼻、のど、肛門などに脱脂綿をつめます。病院で亡くなった場合は看護婦が行ってくれます。

Q 納棺
A 湯灌に続き、遺体の髪をきれいに整え、男性ならば髭をそり、女性ならば薄く化粧をほどこします。死出の旅支度をして棺に納めます。手は結んで数珠を持たせます。故人愛用の品を一緒に納めても差し支えないですが、火葬にする関係上不燃物は控えます。釘は打たずそのまま蓋をし、棺掛をして祭壇に安置します。

Q 死装束はなぜ着せる?
A 死化粧が済んだら故人が生前愛用していた和服や洋服、あるいはゆかたに着替えさせます。死装束は死出の旅路におもむく死者の旅装束で、死装束に着替えてから納棺します。経帷子(きょうかたびら)と呼ばれる白い木綿、麻などで作られた 経文を墨善した着物を左前に着せます。これを着ると罪が滅ぼされるといいます。これは鎌倉の頃、真言宗から始まったそうです。それに天冠(三角頭巾)を額にあて(これを喪主や縁者がつけることもあり、もとは死の忌に関わる習俗ともいわれます)、六文銭を入れた頭陀袋というものを首にかけたりしますが、六文銭は三途の川の渡し賃とか死者の小遣いとかいいます。両手には手甲を付け、足には脚半を巻き、白足袋、草履、頭巾、首から頭陀袋を掛け、杖と笠を持たせます。頭陀袋には六文銭(紙に印刷されたもの、三途の川の渡し賃とされる)を入れます。これは昔ながらの巡礼の姿、冥土の旅支度です。手に数珠を握らせるのも忘れてはいけません。随分古くさい旅支度ですが、こうした伝統が今日も残されています。葬儀社がいろいろ用意してくれるので納棺の時に一緒に入れるというのが一般的です。死出の旅とは、要は死者を送る人々の心尽しの気持ちがこういう習俗を造り出したということに深い敬意を払い、そういうやさしい気持ちを受け継ぎたいものです。

Q 亡くなった者には旅支度をさせて送らなければ迷うって本当でしょうか。
A 旅支度とは死者の旅装束と枕元や棺の中に納める品々ですが、人が亡くなれば冥土へ旅し ちゃんとたどり着かなければまたこの世に悪霊として戻り、生きている者に禍をもたらすという考えです。枕元の団子は旅の途中の弁当でお腹を空かせてこの世に戻って来ては困るという考えです。死者の枕元に一本の箸を立てた一膳飯をお供えするのは死者の霊の宿り木で、亡くなった人の魂が家の中を漂うのを防ぐため、食べ物を用意してそちらにじっとしているようにとのことです。霊を怖れる気持ちから来ているのでしょうが、死者の霊をまるでハエのように考えております。棺の中に六文銭を入れるのは、三途の川の渡し賃です。三途とは地獄・餓鬼・畜生という迷いの世界のことでせめて三途というひどい世界だけは越えてくれといった気持ちが六文銭という渡し賃につながったのですが、結局は渡ったら帰ってくるなという発想から来てます。旅支度とは少し違いますが、死者の胸元や棺の上に「守り刀」を置きますがこれは亡くなった者は霊が抜けているので他の霊が乗り移りやすいと考え、悪霊などが死者に取り憑かないようにと刀で守ることです。これらはすべて霊を怖れる「慰霊」「鎮魂」の思想です。仏教はすべてのものは移り変わる(諸行無常)、すべてのものに霊魂のような固定的なものはない(諸法無我)を説き、縁によって成立(縁起の法)しているのが我々の本当の姿であるとしております。

Q 逆さ屏風や守り刀の意味は?
A 納棺の前に死者の枕元に屏風を逆さに立てることを逆さ屏風といい、死者を悪霊から守るのだとか、霊魂が遺体から抜け出すのを防ぐためだとか言われます。また、遺体の布団の上に刃物を置く習わし(守り刀)がありますが、これも遺体を魔物から守るためだとか、霊魂の遊離を防ぐ意味があるとか言われます。最近は屏風を使う家庭が少なくなっていますから、逆さ屏風の風習はあまり行なわれなくなって来ているようです。守り刀は武士が死んだとき刀を枕元に置いた名残りとも言われますが、刀のかわりに小刀、剃刀、包丁、ハサミなどを置く例が多くありますから、そうした刃物で魔を払う意味が強いのかもしれません。現在は火葬の時の都合からか葬儀社が木刀を守り刀の代わりとして用意することがあります。葬送の習俗には遺体に掛ける布団を天地逆さまにしたり、「逆さ着物」を掛けるとか、経帷子を左前に着せるとか、あるいは湯灌の湯を作るのに水に湯をさす「逆さ水」といった日常とは逆の行為が多くあります。これらは非日常的な死という出来事の到来を象徴的に知らしめるという役割を持っているようです。逆さ屏風はその仲間ともいえましょう。

Q 逆さ水とは?
A 湯灌に用いる湯のことを逆さ水といいます。普通の場合は、湯に水を入れてぬるめますが、遺体を清める際には、それとは逆に、先ずたらいに水を注ぎ入れ、湯をそのあとで入れて適温にする方法をとります。水の中に湯を入れることを湯灌の湯といって嫌われ、全国的にこのような行為は日常してはならないと戒められています。このような風習は、生と死とがはっきりとコントラストをなしていることから、日常(生)と非日常(死)を対比することから生まれたものでしょう。湯灌の際には、左柄杓を用いることも広く行なわれており、湯灌が終った水は、日に当てると罰があたるといわれ、日の当たらないところに流すのがならわしとなっており、床下に捨てたり、穴を振って捨てたりします。逆さ水は、北枕、逆さ屏風、逆さ着物、などど同じく、葬いにともなう特殊なしきたりであり、死忌を避けるために行なうものです。

Q 三途の川とは?
A 三途の川は死者が必ず渡らなければならない川とされ、死者は亡くなってから死出の山を越えて冥土に行く途中、初七日に三途の川にいたるとされています。この川には渡るところが三つあり、山水瀬、江深渕、有橋渡と名づけられています。この川を渡る際、生前の行為によって善人は橋を渡り、軽い罪の人は浅瀬を渡るのですが、重罪人は深瀬を渡らなければならないとされています。岸にたどりつくと、衣領樹という大樹があり、その影には奪衣婆(三途河の婆)と懸衣翁の二鬼が住んでおり、奪衣婆は罪人の着物を剥ぎ取ってしまい、懸衣翁がそれを木の枝に掛けるといわれます。すると、生前の罪の軽重によって、枝の垂れ方が異なり、善人は再び着物を身に付け、重罪の死者はそこから裸でさ迷い歩くといわれています。

Q 四華を飾るのは?
A 四華は紙華あるいは死華とも書き、シカバナとも呼ばれています。葬儀のとき、白紙を細長く切り、横の切れ目を細く入れ、細い棒に巻きつけて、四本を一つの台にさし、二台を一組として位牌の南側に置き、死者の往生を示すものとされます。四華の由来は、釈尊が入滅のときその死を悼み悲しんでそばにあった沙羅双樹の八本のうち四本は緑であったが残りの四本は花が白く枯れたことになぞらえて、釈尊の入滅と同じく死者が涅槃に入ることを象徴しています。これは四栄四枯をも意味するもので、諸行無常を表わしています。四華は本来、野道具の一つで、お墓に埋葬する際の葬列の先頭に立つところから、途中で死者の霊が遊離しないように、しつかり憑依させる役割があったとも考えられます。四華は全国的に数多くみられますが、これを立てないと死者はあの世に行けないとか、四華が広がると死人が近いとか、四華が倒れる方向に死者が出るなどという俗信もあります。

Q 枕元に樒(しきみ)を飾るのは?
A 死者の枕元には一本の樒を供え、これを一本華あるいは一本樒といいます。釈尊がクシナガラで入滅されたとき、弟子の大迦葉尊者は釈尊のあとを追っての旅の途中でした。たまたま道端で一本の曼陀羅の華を持っていた人に釈尊の所在をたずねますと、その人は「釈尊はすでに七日前にお亡くなりになりました。だから私はこの華を持っているのです」と告げられたそうです。このように大迦葉尊者に釈尊の入滅を告げた人が一本の華を持っていたことから、死者の枕元には一本の樒を供えるようになりました。樒は故事によりますと、その実はインドから来たものでインドの青蓮華に似ていることから仏の花として供えられるようになりました。樒は狼がそのにおいを嫌うことから死体を狼から守るために古くからお墓に植える習慣があり、これが葬儀にとり入れられたともいわれます。

Q なぜ遺体は24時間おくか
A 心臓の鼓動が停止したと医師が判定したとき死とみなされるが心臓の鼓動だけが止まっても他の肉体的な細胞が完全に死にいたっていないため死を確認するために一昼夜以上を経過してから火葬を行うことになっている。遺体を棺に納めても出棺まで蓋には釘を打たないでおく。

Q 病院での最期
A 病院での最期は、たくさんのチューブにつながれスパゲティ症候群だとの声も有りますが、家で看取りたいと退院しても、土壇場で大量出血が始まったりすると集まった親戚達から非難の言葉が出ることにもなります。そこで再入院を考えてもベッドが空いているとは限らず、後味の悪い幕切れを迎えることになります。この種の出戻り患者の到来はナースたちのアレルギー反応を呼びます。ナースとて人の子、治療の延長線上の死は自然に受け入れられるが、純然たる最後、死だけを看取ることには抵抗があり、「病院は葬儀屋じゃない」という言葉も出てしまうのです。




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